【認知症になっても幸せに生きることができるたった一つの方法とは?】~認知症研究のトップが認知症になってたどり着いた答え~
こんにちは!デコです。
突然ですが、幸せに生きるって何でしょう?
先日の記事の中で宗教の勧誘にあったお話をしました。その時、その人たちによく言われたのが、
「あなたはまだ本当の幸せを知らない!」
というフレーズでした。
私も
「んじゃ、本当の幸せってなんだと思いますか?」
と返すと、だいたい決まって
「それは〇〇を信じて私たちと一緒に活動することです」
と言われたものです(笑)。
幸せに生きるって何?~誰もが生きているうちで一番知りたいことの一つだと思います。
太古の昔から現代に至るまで、数々の先人たちがこの難問に取り組んできました。その教えの中には幸せの本質的な部分に到達しているのではないかと思われるものもあるのですが、誰もが納得のいく答えがないのもまた事実です。
私もそんな難しい問題に挑戦する気などさらさらありませんが、先日あるテレビのドキュメンタリー番組を観て改めて「幸せって何だろう?」と素朴な疑問を感じました。
その番組がこちら☟
ここで取り上げている医師の長谷川和夫さんは誰もが認める文字通りの「認知症研究の第一人者」で、「痴呆症」と呼ばれていた病気を差別的だと考え「認知症」と変更することを提唱し、それを実現させたり、自ら認知症の診断の指標の一つである「長谷川式認知症スケール」(→ご存じの方もいらっしゃるかもですが、映画のシーンなどで、医師が患者に「さくら、猫、電車」と訊いて記憶力のテストをしたり、「100から7を引くといくつですか、そこからまた7を引くといくつですか?」と計算力のテストをしたりするアレです)を考案し、いち研究者としてだけではなく、広く社会に認知症やその患者への理解を深めてもらう数々の活動等々…。とにかく介護の現場では知らない人がいないのではないかと思われる方です。
目次
認知症になると実際どうなるの?
長谷川先生は(敢えてこうお呼びします)この番組の中で認知症になるとどういう状態になるかこのように発言しておりました。以下「」内はご本人や関係者の方の発言の引用になります。
「もうダメだ。もう何もできなくなるんだろうか。どんどんひとりになる」
「生きているうえでの確かさというのが少なくなってきたように思う」
「夢と現実の境目がわからなくなって、夢の中のことが現実で起こっている気がしてはっきりしないことがある」
本人の発言
医師として40年以上多くの認知症の患者さんと向き合って来られた先生ですから、認知症の具体的な症状や機序などは十分わかっていたと思いますが、いざご自分がなって気づかれたことも多いと見受けられました。そして症状が進行していくと物忘れや日にちの感覚が薄れていくようで…。
「うつ病みたいになって…死のうと思って」
「まごまごして、今こういうことを言った方がいいのか言わない方がいいのか自信がなくなる。だから寡黙にならざるを得ない。自分の殻にこもって」
「一生懸命、一所懸命やってきた結果こうなった。僕の生きがいは何だろう」
とだんだんご自分が失われる感覚が生じる一方で…。
「余分なものははぎとられちゃうわけだよね認知症になると。(認知症は)よくできているよ」
「心配はあるけども、心配する気づきがないからさ」
「神様が用意してくれた一つの救い」
と高い境地に達したのか、自分の今の状態を達観し安堵したようにも見受けられました。
ご本人は日々の生活の中で様々な自分のおもいや葛藤を感じられているようです。
また研究者としては、
「やっぱり認知症になってみると、本当の認知症の姿がわかる」
とも語っておりました。ちなみに先生はかつて先輩の医師から「君が認知症になって初めて君の研究が完成する」とも言われていたそうです。
サポートするご家族はご本人のことをどう見ているか?
また、それを支えるご家族も先生に寄り添いながらも、大変さや葛藤を抱えているようです。ご本人の家での日常生活などの介護は妻の瑞子さん、通院や講演のサポートなどの外での活動は主に娘のまりさんが担っています。
瑞子さんは、日常の世話に留まらず、たまに、先生が好きなベートーベンの悲愴をピアノで弾いたりもします。
「とにかく、あまり嫌な思い出を作らないようにしようとしていますよ。また上の空に行って「あの時は」なんていうと困るから。「のんびりできてよかったね」くらい言えるようにね」
と瑞子さんは柔和な笑顔で語られていたのが印象的でした。認知症の方への素晴らしいケアのお手本を見ているような気がしました。
対して娘のまりさんは実の父親に対して母親の瑞子さんとは違う思いがあったようです。医師として、父親として、ちゃんとしてほしいという思いをひしひしと感じました。この番組でもインタビュワーの質問とは違う内容の回答を延々と話したりしているのを途中で制止したり、最近の講演会などでは、ご本人が講演の前に突然歌い出すのを止めたり、今までのご本人の立場を守るのに必死でした。
「医師として間違ったことを言ったり、そういうのを残してほしくない。せっかく順調にきていたものが全部崩れてきちゃう、尊厳が」
と語っていた、まりさん。
診察の際には、ご本人が主治医に「出かける時に鍵をかけたのを何度も確認するので時間が経ってしまう」という話をして一旦席を外した時に、改めてそのような事実はないことを伝えた上で主治医にアドバイスを求めると、主治医は
「(そういった事実を)言ったところで「分かった、そうだったのか」というふうに先生は解釈されないと思います。(先生の)権威や威厳がそういうことで潰されないように周りがサポートしてあげることが重要だと思います。」
と答えました。ここにも「医師として父親としてちゃんとしてほしい」というまりさん自身の葛藤が見え隠れしているように見えました。
でも、先生自身はもともと楽しい時は「楽しかったね」「本当に今日はよかった」と感情表現をするタイプの方で、ご家族を愉しませることが大好きだったようです。外を一緒に散歩した時に、近くの喫茶店に行って冗談を言ったりするのを見て、認知症になってもそういったところが昔からずっと変わっていなかったこと気づいて安堵されていたようにも思えました。
認知症になっても幸せを感じられる瞬間とは?
認知症を抱えて日々生活していて幸せを感じる時はどういう時なのでしょうか?どうやら認知症になる前には感じることができなかった思いもあるようです。
ここからはご本人の話していた言葉のみでお伝えします。
「僕の体や精神すべてに瑞子がいてくれる。この感覚は始めてだ。なんというのだろう、いつも瑞子とともにいる感じだ。幸せだ。」
と認知症になってから毎日つけるようになった日記にこのように記してありました。
また、ある時は、
「朝起きて、今日何をするんだろうなあ。俺はいまどこにいるのかな。自分自身のあり方がはっきりしない。彼女がそばにいて朝、言葉を交わしてくれる。おはよう。調子はどう?よく眠れた?」
「お互いにそういう言葉を交し合うんだけど、大丈夫なんだな。よかった。だんだん(不安が)薄れていって確かさが戻ってくる」
と訥々と語ってました。
おやすみの前に「ありがとね、瑞子」と感謝の言葉を必ず伝えるようになったという先生。本当に幸せを感じることができたんだなと感じました。
最後にインタビュワーから「認知症になっての景色ってどんな景色ですか?」と尋ねられると、
「変わらない。普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」
と静かに語りました。認知症になったらガラリと変化するように感じるのかと思いきや
意外なような、でもとても納得したような不思議な答えでした。
認知症になっても幸せに生きることができるたった一つの方法とは?
この番組はとてもお勧めなので是非、見ていただきたいのですが、
大切な人と一緒に生きていると感じるのは認知症であろうとなかろうと変わらないのですね。というよりもむしろ、認知症になると感受性が豊かになってより深いところでの結びつきを感じるのかもしれません。
深いところで誰かとつながる!これこそ人間の根源的な幸せではないでしょうか
私はケアマネージャーをしている関係で日々、認知症の方やそのご家族と接する機会も多いのですが、パートナーやご両親が認知症になったことで、大変なことも増えたがより絆が深まったと話すご家族もいままで多数見てきました。
かといって、いざ自分自身が認知症になったらと考えると正直怖いです。仕事で貴重な体験をさせてもらっているので、これからもそのかかわりの中でいろいろと勉強させていただこうと考えています。
認知症を予防するには日ごろの運動習慣と食習慣が大事なのは言うまでもありませんが、認知症に仮になったとしても大事なことがあります。
それは「素直さ」そして「笑い」だと思います。
自分もこれは日ごろから大切にしています。
これさえあれば認知症だろうがなかろうが、なんとか楽しく生きられると思います。
そしてこれらは「深いところで誰かとつながる」ために必要不可欠です!
あと「ちょっとの優しさ」も必要でしょう(^-^;
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、また次回までごきげんよう(^^)/
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