でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

【50代からの認知症講座】~この世に絶対正しい介護なんて存在しない!?あるのは正しい介護をしていると思っている心だけ!~

こんにちは。私は現在、現役のケアマネージャーとして日々自宅で生活している高齢者の方々の相談を受けて、介護サービスなどの調整をするお手伝いをさせていただいております。

今日は仕事中に、久しぶりに大きなショックを受けてしまい、ちょっと心が凹んだ出来事がありましたので、前から常々感じていたことをお伝えしようと思います。

早速結論から申しますと

 

結論:この世に正しい介護なんて存在しない!あるのは正しい介護をしていると思っている(思い込んでいる)心だけ!

 

理由:介護には誰にでも納得できる客観的な指標が存在しないから。

 

今日の夕方、会社の事務所での会話でこんな話を聞きました。個人情報の関係もあるので、実際の内容をマイルドにして骨子のみをお伝えします。

訪問介護の担当者が先輩の主任ケアマネが担当している利用者様宅でのできごとについてこんな報告をしていました。

「Aさん(利用者様)のご主人がヘルパーとの連絡ノートにこんな事を書いてました。『うちの(妻)は認知症なんです。(…中略…)部屋の電気のON,OFFのことを何度教えても理解できず、毎日こういうことを教えていかなければならないのが苦痛でしょうがないのです。これ以上、何も理解できなくなった人にいろいろ教えるのは手間になりムダなだけなので、ヘルパーさんたちも本人に何も教えないでください。ヘルパーさんだけでできることをやってください』…と、どうしたらいいでしょう?」と担当者が伝えると、先輩はしばらく言葉を失い、呆れた感じで一言、言い放ちました「ったく、もう…。」と言って苦笑いを浮かべたかと思うと、他の事業所に電話をかけ始めました。

そのやり取りを横で聞いていて、私は呆れたのを通り越して、久しぶり仄暗い感じになって凹みました。そうしたら、この話を近くで聞いていたケアマネ歴17年のベテラン主任ケアマネが「そういう人たまにいるよね。昔私が担当した人の旦那さんなんかは、『(ご本人は中等度の認知症)元々足が悪いのに、立ったら転んだりするし危ないから這って移動しろ!』って言って、立とうとすると這って移動するように命令してた人がいたわよ!ある意味合理的な判断だよね。」と言っていた。私はその言葉に対して「まぁ合理的って言えば合理的ですけどね、本人はどう思ってたんでしょうね。」とだけ答えた。

 

「合理的には違いないけど…とてもモヤモヤする」

やはり、このモヤモヤは人間の存在の根幹にかかわるもので、何がいいか悪いかなんて一言ではいえないと思います。言えないけれども、それでも…なんだろうかこのモヤモヤは?って思いますね。ブログの前の方はいかがでしょうか。

 

 

介護の専門学校に入った時、毎日どの授業でも繰り返し教師から刷り込まれた言葉があります。

「利用者主体」です。

当たり前のことなのに、なぜそんなことを言い続けなければならないのか?私は素朴な疑問を抱き続けていましたが、当時は、介護主任の教師が怖くて、しかも田舎から出てきた中年男がそんなことを質問してはいけないといった雰囲気もあり、教えている教師たちも「科学的な介護」を喧伝している割にはそういった根本的なことの根拠は教えてはくれませんでした。たまらず私は答えを探して、いろいろな書籍も読みましたが「なぜ介護では利用者が主体でなければならないのか」といったことは私が調べた限りではどこにも載っていないことでしたし、自分なりに悶々と考えて答えを見つける以外に手はありませんでした。下は21歳から上は66歳までの同級生とも仲良くしゃべったりしていましたが、あまりそんな話をする機会もなかったです。

そんな中、その時に自分が出した(とりあえずの)答えの一つは

介護者と被介護者といった関係は現実には主従関係になりやすく、利用者を主体にしないと容易に本人の尊厳や権利が毀損されるからではないか

と考えました。

 

実際に介護している方や私たちケアマネージャーなどを含めリアルに介護に携わるすべての人間に、その理念はきれいごとに過ぎないと感じる時もありますが、同時に守るべき最後の砦のようにも感じます。

 

上記の事例を高齢者虐待ではないかと判断するのは簡単です。確かにそうだとも思います。しかし、介護の当事者や当事者家族はどこかに当事者や当事者家族にしか分かりえない思いが必ずあると思います。それを上手に引き出すのがケアマネージャーの仕事の一つでもありますが、最後はその個々人の問題でもあります。立ち入れない、立ち入ってはいけない領域も存在しています。その領域を決めるのはそれぞれの個人なのでどれが正しいとか間違っているとも言い切れないのが事実です。正直、今は支援者の立場である自分も認知症になったり、介護を受ける身になったら、どういう風になるかよくわかりません。ましてやどういう介護を受けたいか、入るのだったらどういう施設がいいか漠然とは考えることもありますが、これも自分がそうなってみないことには何とも言えません。

ただ、あくまでも個人的な希望は、周りに迷惑はかけないでいたい。穏やかにいつも微笑んでいたいとは思います(^^;)。

 

この世に正しい介護なんて存在しないと冒頭で述べましたが、介護の現場、支援の現場では、それこそイレギュラーなこともしょっちゅう起こるので、その場で最適だと思われる方法を選択して行うことは多いかと思います。その時は合理的な判断も重要ですが、それ以上に相手を見ながら、相手の言葉を聴きながら、感じながら、相手にとってどういう風にかかわればいいのだろうと想像力をフルに働かせて、地道に考えて介護していくしかないとも思います。

でも、その際は自分だけでなく、また矛盾するようですが相手だけでもなく、お互いができる限りよりよくあればいいと思います。「頑張りすぎず、手を抜き過ぎず」を実践して相手と喜びや悲しみ、楽しみや苦しさも分け合えればいいと思います(自分にも強く言っています!)。

 

-まとめ-

 

結論:この世に正しい介護なんて存在しない!あるのは正しい介護をしていると思っている(思い込んでいる)心だけ!

 

理由:介護には誰にでも納得できる客観的な指標が存在しないから。

 

最後に認知症の方を介護をしている時、自分は絶対に正しいまたは絶対に間違っていると思った時は要注意です。精神的に追い込まれている可能性もあるので、誰かに悩みを相談したり、声を上げて助けを求めてください。身近に頼る方がいらっしゃらない場合は市区町村などの公的機関の活用をお勧めします。

 

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今日は絶対正しい介護なんて存在しないというお話をお伝えしました。 

また、次回までごきげんよう(^_^)/