でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

得意分野を見つけて、いつもがっぷり四つで向き合ってくれた父

今週のお題「お父さん」

 

こんにちは。

NHKで現在放送されている朝ドラ「エール」で、勉強も運動もダメな主人公の少年に音楽の才能を見出した恩師が彼に向けてこんなセリフを伝える場面があります。

 

 人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ、必ず道は開く

 

その後、主人公は昭和を代表する作曲家としての道を歩むことになります。

 

 

これといって人より突出した才能はない私ですが、人より遥かに得意なことがありました。

それは地理、歴史、現代社会などの社会科全般です。

 

自営業を営んでいた父は、私を物心ついたころから車の助手席にしょっちゅう乗せて、一日中得意先回りをしていました。

「喉乾いた」とか「お腹すいた」と訴える上の兄弟とは対照的に、何時間でも助手席でただ座って外の景色を眺める私を重宝し、”ドライブのお供”にしていたようです。

 

そのせいか分かりませんが、おでかけや旅行ではいまだに乗り物に乗って移動している時が一番好きです。また乗り物酔いも経験したことはないですし、初めて行く場所へも地図をサーッと眺めればだいたい迷わずに行くことができます。

 

また、小さい頃はよく地図帳や図鑑を本が落丁するまで読み込んでいたせいか、他の教科はともかく、社会科だけは勉強らしい勉強をした記憶がないにも関わらず、テストでは毎回92,3点~満点でした。 

 

他の教科もこんな風に勉強できていたら、きっと違う人間になっていたでしょうね(笑)

 

 

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大正生まれの父親は日本でも指折りの大学を卒業して、戦前は海外で青年実業家として成功しましたが、日本が戦争に負けて財産をすべて没収されて泣く泣く帰国しました。

それから転職を繰り返し、紆余曲折を経て50歳の時に当時22歳の母親と結婚、私を含めて3人の子供を授かりました。

 

 

3歳ころから勝手に汽車の絵を描くようになっていた私を見た父は母に対して、

 

「〇〇(私の名)の描いた絵は全部取っておけよ、将来、美術館に飾るかもしれないから!」

 

と超親バカぶりを発揮していたようです。

 

そんな私が幼稚園に入った時、私の運命を変える出来事がありました。

それは日本全国の都道府県がピースになっていた(北海道は14支庁)地図のパズルをプレゼントされたことです。しかも学校の地図帳でお馴染みの帝国書院の地図を使用していたものでした。

 

これが私の運命を変えました。

 

プレゼントされてからそのパズルに熱中して、知らず知らずに全都道府県とその県庁所在地まで覚えてしまいました。というか勝手に覚えてしまっていたといった方がいいですね。

 

それからも鉄道好きということもあり、鉄道路線図や地図への興味は尽きることがありませんでした。

 

そして、小学校4年生の時に父から「これおもしろいぞ!」と勧められて読んだのが、地図愛好家や研究者のバイブルともいわれる、堀淳一さんの「地図のたのしみ」という本です。

この本は名著かつ隠れたベストセラーでもあり、地図の読み方を地形や地勢、社会的な観点からだけでなく、歴史的な視点でも読み解いた素晴らしい本です。

 

私もこの本から地図の読み方をたくさん学び、世界地図やその土地の気候、歴史といった部分にも興味が勝手に湧いたので、自分でもいろいろな本を読んだり、調べたりするのが勉強ではなく趣味の一つとなってしまいました。

 

父から教えてもらったこと、学んだことはこれだけにとどまりませんが、地図との出会いは私の興味や得意分野を上手に広げてくれて、いじめられっ子であまり人とうまく付き合うことができなかった私に、ささやかな自信をつけてくれたのだと痛感しています。

 

上の兄弟がおませで負けず嫌いで、あまり父に甘えてこなかったのと対照的に、分からないことをいつも質問していた私のことを父は友達のように思っていたのかもしれません。

 

父は他にも社会や歴史、政治、経済の話を私によくしてくれました。しかも子供だからといって、子供に分かるように話をかみ砕くことはなく、「日米貿易摩擦」や「太平洋戦争の開戦の是非」「中国残留孤児問題」をストレートに私にしてくれました。

いつしか、それらの時事ネタや歴史の話が得意になり、学校の担任なども政治問題などの話題が出るとこちらが頼んでないのに、勝手にいろいろと意見を求めてきたり、クラス代表で作文を書かされたりすることも結構ありました(笑)

 

そんながっぷり四つで対話をしてくれたことは、自分の財産となっていますし、昨今のマスコミやSNSのもっともらしい意見にも流されずに、自分なり社会を生き抜くことが出来ています。

 

そういった「ちゃんと自分で考えて判断する」ことの大切さや、人との関わり方を父との対話の中で自然に教えられてようにも思えます。

 

父は私が18歳の時に病死しました。何一つ親孝行ができなかったことが、自分の人生の中の数少ない後悔の一つです。

 

 

今の自分を父はどう見ているか気になるところではあります。

 

おそらく見栄っ張りの父はこう言うでしょう。

 

 

まあまあ頑張っているようだけど、俺のレベルまではまだまだかな、、、と。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

地図好きの隠れた名著!学校の国語の教科書でも取り上げられていました。☟

 
 
 
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