でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

【星野君の二塁打って話を知ってますか?】~長年モヤモヤしていたことが今日解決し、ついでに考えさせられたこと~

 

今日は、小学校の時の授業でモヤモヤさせられていた話に、こんなオチがあったんだって新たな発見をしたお話だよ! 

 

あら、もしかして昔受けた道徳の授業で納得いかないと言っていた野球少年の話のことだね?

 

小中学校の道徳の時間が授業の教科として正式な科目となったというニュースが数年前にありましたね。その賛否や是非はともかくとして、そのニュースを受けて率直に思い出したのは、小学校の高学年の頃の授業で紹介されたお話のことでした。

 

そのお話とは高校野球の甲子園大会の予選か何かの決勝で、主人公の少年が所属している高校が最初リードしていたが土壇場で同点に追いつかれ、9回の裏ノーアウト1塁の場面で主人公が監督に送りバントをして後続につなぐように指示されたのにもかかわらず、その指示を破り、大きくバットをスイングさせたところ2塁打となり、結果的に相手チームに勝つことができた。その後、見事甲子園大会に出場を決めたものの、後日、チームの全員がいる前で監督が「君は私が指示したバントをせずに、勝手にヒットを打ちチームのルールに逆らったので、甲子園の試合には出すことはできない」と主人公に告げた…といった内容でした。(一文が長すぎ…(>_<)

 

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僕にとって体育は不得意科目の筆頭でしたし、同級生や先輩後輩の上下関係がなんとも苦手でしたので、この話を聞いて、、、

 

「監督の意向は絶対なのか!?だから集団スポーツは大嫌いなんや!」

と半ば反射的に不快感を感じましたし、

「規則だからって…みんなも喜んだし、甲子園に行けたのに!そんなにルールって大事なん?」

って素朴に疑問に思いましたが、田舎の野球大好き、スポーツ大好き小僧たちの集団の中にいてはそんな反論ができる雰囲気は全くなかったので、モヤモヤしながらもその思いをどこか心の隅に追いやることしかできませんでした。

 

 

あれから約40年くらいが経って、今日読んだとあるブロガーさんの記事をきっかけになぜか、小学校の道徳の授業の光景が蘇りました。

 

「そういえば、あれってなんて話なんだろう?」

 

「道徳 教科書 内容」で検索するとすぐに出てきました。思いのほか早くてビックリしました( ゚Д゚)!

 

 

それは「星野君の二塁打」というお話で児童文学者の吉田甲子太郎さんが戦後間もなくの1947年(昭和22年)に「少年」という雑誌に発表したものだそうです。

 

このお話に関してブログで紹介されている方もいて、私が過去に抱いていたような感想をお持ちの方もいらしゃいました。私もやっぱりなぁ~と思いましたが、原著を読みましたところ、この話は自分の想像以上に考えさせられる内容でして、別の大きな主題が汲み取れるものだと判明しました。

  

このお話は先ほどお伝えした要旨に関して補足しておかなければならない箇所があって私はその部分を知りませんでした。その部分を知れば全くこの物語の別の側面が見えてくるはずです。ここからは臨場感も感じていただきたいので原文のママ以下に引用させていただき、私見を述べていきたいと思います。

※大変申し訳ございませんが、野球のルールをご存じない方は各自お調べ下さい。

 

 

「星野、山本をバントで二壘へ送つてくれ。杉本に打たせて、どうしても確実に一点かせがなきやならないから。」
 今井先生は正面から星野の目を見て、ハッキリ、そういつた。
 先生がそういうのもむりはなかつた。きようの星野はピッチングの方はかなり上出來だつたが、打者としてはふるわなかつた。四球が一つ、三振が二つという不景氣な成績だ――だが、星野はがんらいよわい打者ではなかつた。あたればそうとうなおお物をかつ飛ばす方だつた。だから、かれはこの四回目のアット・ボックスで、名譽挽回(ばんかい)をしてやろうと、ひそかに張りきつていたのだ。こんどは、きつとあたる。なんとなく、そういう予感もしていた。それだけに、かれは、今井先生の言葉にたいして、「はい。」というすなおな返事がしにくかつた。
「打たしてください。こんどは打てそうな氣がしているんです。」
「氣がしているくらいのことをたよりにして作戰を立てるわけにはいかないよ。ノー・ダンなんだから、ここは正攻法でいくべきだよ――わかつたな。さァ、みんなが待つてる。」
 ぐずぐずしているわけにはいかなかつた。
「はァ。」
 あいまいな返事をして、星野が引きかえすうしろから、キャプテン大川のひくい聲が追つかけてきた。
「たのんだぞ、星野。」
 星野は明かるい、すなおな少年だつた。人の意見と對立して爭うようなことはこのまなかつた。しかし、きようのバントの命令だけは、どうしても、服しにくかつた。安打が出そうな氣がしてならないのだ。それも、二壘打か三壘打になりそうな氣が、しきりにするのだ。バントのギセイ球で、アウトを一つとるのは、もつたいない氣がする。
 だが、野球の試合で、監督の命令にそむくことはできない。自分の意見をよく話して、今井先生に賛成していただくひまがないのが殘念なだけだ。
 星野は、今井先生の作戰どおり、バントで山本を二壘へ送るつもりで、ボックスにはいつた。

 

 

ここまでの流れでも星野君と監督(今井先生)双方がそれぞれの意見を主張していたのがわかる。この場面を見ても星野君は監督に対してズレはあったもののしっかりと自分の意見を伝えて、それを受けた上で監督もあくまでも「ノー・ダン(ノー・アウト)なんだから、正攻法でいくべきだよ」と短い時間ながらもちゃんと答えを返しています。

 

ですが、結果的に星野君は監督の指示を守りませんでした。しかし、チームの勝利には大きく貢献しました。

 

 

第二球! 高めの直球。星野のバットは、大きくスイングした。
 あたつた。バットのましんにミートした球は、カーンと澄んだ音を立てて、二壘と遊撃のあいだをぬくライナー性のクリーン・ヒットとなつた。中堅手が轉々する球を追つて、やつと、とらえた。そのまに、ランナーは、二壘、三壘。
 ヒット! ヒット! 二壘打だ。
 R中學の應援團は總立ちになつた。ぼうしを投げあげる氣の早い生徒もある。
 ボールは、やつと、投手のグローブに返つた。
 星野は、二壘の上に直立して、兩手を腰にあてて、場内を見まわした。
 だが、このとき、星野は、今井先生が、ベンチから、にがい顏をして、かれの方を見ていることには氣がつかなかつたのである。
 それはともかく、星野の一撃はR中學の勝利を決定的にした。四番打者の杉本が右翼に大飛球をあげてそのギセイによつて、山本がゆうゆうとホーム・インしたからである。
 R中學の甲子園出場は確定し、星野三郎はこの試合の英雄となつた。

 

すばらしい成果を上げたチームですよね。誰もが喜びの絶頂に達していただろうと想像できます。

 

しかし、翌日、学校でチームメンバー全員を集めた上で、次のように告げました。

 

 「諸君、きのうはありがとう。おかげで、ぼくらも待望の甲子園へゆけることになつた。おたがいに喜んでいいと思う。――ところで、きようは、昨日の諸君の善戰にたいして心からお礼をいうというあいさつをしたいところなんだが、ぼくには、どうも、そういいきれないんだ。」
 補缺もいれて十五人の選手たちの目は熱心に先生の顏を見つめている。先生の重々しい口調(くちよう)の底に何かよういならないものがあることを、だれもがハッキリ感じたからである。
 先生はポケットからタバコをだして、ゆつくりとライターで火をつけた。それから深くけむりをすいこんで靜かに言葉をつづける。
「ぼくが、監督に就任するときに、君たちに話した言葉は、みんなおぼえていてくれるだろうな。ぼくは、君たちがぼくを監督として迎えることに賛成なら就任してもいい。校長からたのまれたというだけのことではいやだ。そうだつたろう。大川君。」
 大川は、先生の顏を見て強く、うなづいた。
「そのとき、諸君は喜んで、ぼくを迎えてくれるといつた。そこで、ぼくは野球部の規則は諸君と相談してきめる、しかし、一たんきめた以上は嚴重にまもつてもらうことにする。また、試合のときなどに、ティームの作戰としてきめたことは、これに服從してもらわなければならないという話もした。諸君は、これにも快く賛成してくれた。その後、ぼくは氣もちよく、諸君と練習をつづけてきて、どうやら、ぼくらの野球部も、少しずつ力がついてきたと思つてる。だが、きのう、ぼくはおもしろくない経驗をしたのだ。」
 ここまできいた時、星野三郎は、あるいは自分のことかなという氣がしてきた。なるほど、ぼくは、きのうバントを命じられたのに勝手にヒッティングに出た。ティームの統制をやぶつたことにはなるかも知れない。しかし、その結果は、かえつて、わるくなかつたはずだが・・・・かれは、どうしたつて、自分がしかられるわけはないと、思いかえした。
 そのとたんに、先生はすいかけのタバコをぽんと、すてた。そして、ななめ右まえにすわつている星野の顏を正面から見た。
「まわりくどいいい方はよそう。ぼくは、きのうの星野君の二壘打が氣にいらないのだ。バントで山本君を二壘へ送る。これがあのときティームできめた作戰だつた。星野くんは不服らしかつたが、とにかくそれを承知したのだ。いつたん承知しておきながら、勝手にヒッティングに出た。小さくいえば、ぼくとの約束をやぶり、大きくいえば、ティームの統制をみだしたことになる。」
「だけど、先生、二壘打をぶつぱなしてR中学をすくつたんですから――。」
 山本が口を出した。
「いや、山本君のは結果論というやつだ。いくら結果がよかつたといつて、統制をやぶつたという事実にかわりはないのだ。――いいか、諸君、野球は、ただ勝てばいいのじやないぜ。特に學生野球は、からだをつくると同時に精神をきたえるためのものだ。團体競技として共同の精神を養成するためのものだ。自分勝手なわがままは許されない。ギセイの精神のわからない人間は、社會へ出たつて、社會を益することはできはしないぞ。それに実際問題としても、あのとき星野君の打つた球のおかげで、ダブル・プレイでも食つたとしたら、どうなつたと思う。ワンヒット・ワンランのチャンスもないのに、あの場あいヒッティングに出るなんて、危險きわまるプレイといわなければなるまい。」
 今井先生の口調が熱してきて、そのほほが赤くなるにつれて、星野三郎の顏からは血の氣がひいていつた。
 選手たちは、みんな、あたまを深くたれてしまつた。
「星野君はいい投手だ。おしいと思う。しかし、だからといつて、ぼくはティームの統制をみだしたものをそのままにしておくわけにはいかない。罪にたいしては制裁を加えなければならない。――」

 

そして、監督は重大な決断を下しました。星野君は涙をこらえながら監督の言葉を聞きました。

 

「ぼくは、星野君の甲子園出場を禁じたいと思う。當分、謹愼(きんしん)していてもらいたいのだ。そのために、ぼくらは甲子園の第一予戰で負けることになるかも知れない。しかし、それはやむを得ないこととあきらめてもらうより仕方がないのだ。」
 星野はじつと涙をこらえていた。いちいち先生のいうとおりだ。かれは、これまで、自分がいい氣になつて、世の中に甘えていたことを、しみじみ感じた。
「星野君、異存(いぞん)はあるまいな。」
 よびかけられるといつしよに、星野は涙で光つた目をあげて強く答えた。
「異存ありません。」

 

 

このように原文を改めて読み解くと、監督は高校生の前でタバコをふかしながらしゃべったりはしているし、野球や団体競技、しいては社会に関しての考え方などは今の時代にはそぐわないかもしれませんが、大事なところはそこではなく、①少年たちは喜んで今井先生を監督として迎えた。②野球部の規則は監督と少年たちが相談してきめた。③一旦決めた以上は厳重にこれらを守り、試合の時にチームの作戦として決めたことには従う。そして④少年たちもこれらの取り決めに快く賛成してくれた。…とあります。

 

つまり、すべては手続きを踏んだ合意の上のことなので、星野君の処分は当然のことだと監督は話しているのです。それぞれの立場はあれど、お互い人間として平等に相談して話し合って決めたことを実行しただけだと告げているのです。

 

どうでしょうか。

「そうは言っても監督でしょう…上下関係もあるので野球少年が本音を言えなかった可能性だってあるんじゃないの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。確かにそうとも取れますが、この作品が発表されたこの年は奇しくも戦後の新しい憲法が施行された年です。ひょっとすると作者はこの作品を通して民主主義を分かりやすい形で新しい世代である少年たちに伝えたかったのかもしれません。

 

ベースにある価値観・倫理観や考え方は今となっては様々な異論があるでしょうし、登場人物がお互いに同じ価値観を共有できたからこそ、最後に星野君は「自分がいい気になつて、世の中に甘えていたことを、しみじみ感じた。」と反省しました。

今の時代ではこういった展開は非難轟轟でしょうが、お話の展開そのものは極めて合理的なものだったのがわかり、あらためて勉強になりました。

 

こうやって誤解や曲解をしていることってまだまだいっぱいあるんだなと自分自身しみじみ感じました。新しい時代になったら 、別な解釈が出来るようになるかもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。