でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

生きていくことは可能性をつぶし続けること。

今、このブログを見てくださっている方は「生きていますか? 」→当たり前だっつうの!今日のお話は齢50にして、初めて感じた「生きていくこと」についての一つの実感です。

 

 

 『生きていくことは可能性をつぶし続けること』と聞いてこのブログを見ている方はどう感じるだろか?

 

「そんな身も蓋もないことを言ってどうすんの?」

「そんなこと言うならその歳でブログなんか初めても、意味なくね?」

「そんなことはとうにわかってるよ!何をいまさら。」

 

ま、いろんなご意見がおありでしょうが、まずはお目目を拝借!

 

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気をご存じだろうか?

 

 

日本では10万人に1人程度の方が発症するといわれ、現代の医学でもはっきりと原因は解明されていない。身体の手足や顔などの筋肉(主に自分で動かせる随意筋)が徐々にやせ細って衰え始めて、しまいに肺や内臓を動かす筋肉まで侵されるといった難病だ。この診断は医師でも難しく、数か月や年単位の時間がかかってしまうそうだ。

 

なぜ、時間がかかるのか?

 

最近聞いた話だが様々な病気の診断の可能性をつぶし続けた結果、「どの病気も該当しない」ということがわかって初めて、この診断にたどりつくというのだそうである。

 

最初は40肩や50肩との診断がついたり、関節リウマチだといわれたり、パーキンソン病だと言われ、ある程度時間が経ってから判明するようだ。

 

 難病の診断の難しさと同様、自分自身の生き方や目標の設定などもこれに該当すると思う。10代、20代の前半辺りまでは、「何かやらなければ!」といった焦燥感ばかりが先に立っていて、具体的に行動を起こすことが少なかったような気がする。

 

このように、ある結果がわかるまでにはそれ相応の時間の経過と何より「これはこうだと思ったけど、やっぱり違っていてこうだったんだ」という作業を繰り返して、なんとかたどり着けるもののような気がする。

 

 

では、可能性をつぶし続けることで発見することとはなんだろう。

僕なりに理由を考えてみた。それは大きく三つ。

 

  1. 自分にとって余計な欲(スケベ心)が減り、物事を客観視でき、本質がストレートに見えやすくなる。
  2. 選択肢が狭くなることで、自分がやるべきことに集中でき、結果的に成果が上がりやすくなる。
  3. 自分にとって必要ではい物事がはっきり理解できるので、生きるのがラクになる。

、自分の経験値が少ない時は、あれもやってみたい、これもやってみたいと色々なことに挑戦していき、失敗の数が多くなればなるほど行動が研ぎ澄まされ、物事がクリアに見えてくる。

それは赤ちゃんが危険を顧みず、半ば本能的に物を口に入れる行動のようなもの。その行為自体は別な意味も持っているのかもしれないがそういう側面はある。

 

また卑近な例で申し訳ないが、自分も子供から40歳くらいになるまで様々なものに挑戦してきた。音楽家、画家、マンガ家、小説家、アナウンサー、FM局のDJ、心理カウンセラーなどなど…。

その時は無我夢中だったが、才能がないと心底思うとかえって心が軽くなり段々楽になり、自分がやるべきことやできること、もっと世の中に貢献できることに注力できるようになっていった。

 

、自分が選択してやり続けたものがことごとくダメになると、どんどん残されたものしか選べなくなり、そこで覚悟を決めて向き合うようになると、結果、集中せざるを得なくなり、成果を上げやすくなる。

ただし、これに関しては挑戦してきたものに対してある程度しっかり向き合って取り組むのと、「もうこれしかない」と心底思って、かつあれこれ考えずに地道に行うことが条件となりそうだ。

 

捨てる神あれば、拾う神ありといったことわざもある通り、生きている限りにおいては何かしらの「逃げ道」は存在する。でなければ、生きていくことはできないと考えられるからだ(チト禅問答っぽいかな?)。

 

、これは今までの失敗を素直に受け入れられて、かつ迷いがなくなるから当然と言えば当然だ。ここまでくると前の失敗も客観視できるため、人に話すときも笑って話すことができるようになっていることも多い。

よく失敗談を面白そうに話す人がいるが、聞いている方が悲惨すぎて引いてしまうようなことでも、本人にとってかなりの程度受け入れられているので実際には聞き手が苦しい思いをすることは少ない。もし苦しい思いをしているのであれば、それは聞き手本人に何らかの問題(悩み)を抱えている場合が多い。

 

以上、自分なりに「生きていくことは可能性をつぶし続けること」の理由を話したが、可能性をつぶし続けた結果、新たな可能性に気づくことは多いでなければ、おそらく今、僕はこうしてよみものなど書いていないだろう。また、失敗が多いということはそれだけ、行動をしてきた結果でもあるので、失敗をあまり経験しない人よりは物事に対する知性だけでなく、感性も養われてきているので、人や自分に対する気持ちへの共感力も増す。真の教養のある人とは人の気持ちがわかる人ですと養老先生も申してましたな。

 

 

いかがでしたか、今回は賛否両論、大歓迎です。というのもこれは自分自身の最近の実感で、本当にそうなのか、普遍性のあるものなのかについては全く自信はありません。むしろ、「それ違うんじゃね!」とか、「それはこういうふうにも考えられるよ」といった意見がほしいです。

でなければ、でこぼこよみものの「楽しみあいたい」のコンセプトから外れてしまうと思いますので…。

ブログをご覧の方、どうか、忌憚のないご意見、よろしくお願いします。

 

【本日の1枚】

 

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見守る富士山