でこぼこよみもの

人生、山ばかりでも谷ばかりでもなく…という、とある夫婦の話

50代からは健康と「サバイバル」を意識せよ!

今、ブログの前でこの記事を見てくださっている方は、いわゆる平成のバブル時代のことをご存知ですか?先日、会社の先輩たちがそのころのことをしゃべっていて、「よく会社帰りは◯◯でしょっちゅう踊りに行ったよ!」とか「タクシー代で毎晩1万円を普通にもらっていたよ。ボーナスはそう100万は軽く超えてたかな。」とか、話してました。

私は地方の貧乏な大学生で、そんなバブルの恩恵を受けることなどなく、同級生がやれ飲み会だ!ナンパだ!と浮かれている時に、時給460円!のコンビニのバイトなどをして学費を稼いでいました。いつも孤独で、地味な格好をしていた私は、街を歩くと「あなたのために祈らせてください」と言って宗教関係の方々によく声をかけられました(^^;)

当時はオウムをはじめとした戦後第二の宗教ブームでもありましたね。そんな時代を経て、令和を迎えた今年、50歳になり、今どきの中高年の生き方について本気で考えねばと思うようになりました。

でも、あんまり難しいことは語っていません。気軽にお読みください。では、お目目を拝借!

 

スポンサーリンク 

 

50代からは健康とサバイバルを意識せよ!

 

「そんなこと分かっているよ。」という声も聞こえてくるが私をはじめ50歳台以上の方々はこれからの生活をどのように過ごしていこうと思っているのだろうか?

私は42歳で生まれて初めて正社員として雇用された。若い頃から転職が多く、結婚を機に40歳の時に地方から上京してきた。その時は全然、お金がなく、これといったスキルもなかったので、とりあえず、お年寄りとかかわるのが好きかな?という軽い理由と売り手市場だったということで介護の仕事に就こうと思い、職業訓練で介護の学校へ行き、そこを卒業してから介護職として施設勤務をし、訪問介護のヘルパーなどを経験して、今はケアマネージャーとして仕事をしている。

私は10代の頃からの夢を40歳になるまで追い続けていたため、気がついてみると非正規でしか働いてこなかった。慢性的な人手不足、超売り手市場が続いている業界だからこそ、正社員で就職できたが、上京直後のハローワークでは自分の年齢で正社員での求人が実質的になく、厳しい状況だとつくづく実感させられた。今でも年収は同世代では決して高いとは言えない方だろう。

 

しかし、バブルの時代に青春期を迎えている世代は、まだどこかにその時代の幻影を追っている節があり、今の現実とのギャップに苦しんではいないだろうか。

 

働くなら正社員で終身雇用」

「年功序列で、福利厚生が充実しているのは会社としては当然」

「年齢が高かったり、勤続年数が長ければ給与が自然に上がっていくのは当たり前」

 

バブルがはじけてからそろそろ30年くらい経つし、こんなことはもう常識でないことは頭ではわかっているはずなのだが、心のどこかに「自分だけは大丈夫」「今までなんとかなったんだから、これからもなんとかなる」と思っている人は未だに多いのではないか。

ご多分にもれず、少し前の自分もそうだった。いや、今でも仕事や職業に関してはそういった考えが完全には拭い去れない。

 

そういう自分 が50歳になった時にターニングポイントを迎えた。

 

このままだったら、私たち夫婦はだんだんと体力も衰え、仕事を辞めれば、収入も減り、徐々に交友関係も狭くなり社会から切り離されていくのではないかといった漠然とした不安が頭をよぎった。

 

なんとかせねば!

 

しかし、ここで私は思った。今はとりあえず安定した収入もあるし、以前と比べて仕事に時間が追われることも少なくなった。しかも、わたし達には子供もおらず、相続する不動産もなく、何も縛られるものがない。という事は今からでも色々自由に行動できるのではないか!そして、私は思いついた。

 

そうだ、ブログだ!とりあえず、ブログを書いてみたら何か変わるかもしれない。今はアフィリエイトっていう手法で広告収入も稼ぎ出せるそうじゃないか。この先年金だけでなんかとても生活できやしないし、今の薄給じゃ老後に向けての蓄えなんてのも期待できない。子供や孫もいないから、経済的にも精神的にも頼る人もいない。今からはマジで自分たちでなんとか食い扶持を探さなければ。でも、自分なんかが考えていることや経験したことが誰かの役に立つことなんてあり得るのか?」

 と自問自答した。

「でも、ダメ元でやってみてもいいじゃないか。別に気兼ねする相手もいないし。たとえブログなんか書いて恥ずかしい思いをしたり、失敗してしまったとしても、それをネタにもできるのではないか。どっちに転んでも得じゃないの!」

 

と思い立ち、ブログを書き始めてそろそろ3週間。まだまだ、文章や構成は未熟だが、書きたいことが山ほどあって、日々整理がつかない状態が続いている。

 

ブログを書いて、自分の記事を読んでくれたり、星を付けてくれたり…。

「自分が書いた記事を読む人がいる。喜んでいる人がいる」

今はそれだけでも心が豊かになったように思える。

万が一、読者数が数え切れないほどになったり、収益化に成功したりしても、今のこの感覚は忘れられないものだろう。

 

この先ブログ以外にも生き残り戦術として、これからは主に3点を意識しようと思っている。

 

1、一つ一つの収入のチャンネルを増やす。

2、食事・運動・マインドを整え、健康に留意する。

3、いざという時に頼りになる隣人・友人をもつ。

 

1、たとえ一つ一つが低収入であっても、何らかの形でいろいろな仕事をしていこうと思う。学生の頃はバイト三昧だったし、その時にこういう働き方は自分に合っているとも痛感していたので、できたら、これからはその感覚で仕事を続けていこうと考えている。

 

2、ブログを書き始めた時、勝手に15歳の自分に戻っていた。あの頃のモヤモヤをぶつけてみようとは思ったが、いかんせん、鏡をのぞくとおなかや肌が脱力状態。2年前から少しずつ運動習慣もついてきたし、あとはマジで食事は気を付けなければと思っている。さすがに夜から朝にかけて飲み歩くことはしなくなったが、その分、スイーツなどの甘いものに走るときがある。そういう自分を責め過ぎず、時々、自分自身に「今日はそのプリンだけにしようか」と冷静に声をかけ、諭すようにすればいいのかなと最近は思っている。

 

3、おそらく、今の仕事を辞めたら、休日に遊びに行く人はボコしか自分には残っていないだろう。それはそれで十分なのだが、ボコも含めて付き合いができる仲間がいればいいかなとも最近思う。ちょっと気が向いたら、話をしたり、食事をしたり、そして緊急事態にはお互い自然と助け合う…そんな仲間ができれば少しはいいかなと思う。

 

50代からは自分の身体の「健康」と自分の生活「食い扶持」は自分で守らなければならない。悲しいかな。良し悪しではなく、これが少子高齢化時代の今の日本の現実だ!

 

今からのご時世、お年寄りがかつてのお年寄りのようには生きていけないことは間違いないと思う。職業柄、しょっちゅうご老人の方々にお会いしているが、自宅で過ごしている人で、昔、志村けんがコントで演じた「ひとみばあちゃん」のような年寄りに合うことはホントに珍しくなった。介護の世界でも、もともと北欧からきた「自立支援」といった考え方が主流となっており、かつて聞かれた長幼の序という概念は亡きものとなってしまい、もうすでに日本の世の中で高齢者を「ひとみばあちゃん」のように扱うのを許さなくなってきている。

 

自分が見たバブル期の年寄りの代表がきんさんぎんさんだったとしたら、今の年寄りの代表は亡くなられた聖路加病院にいた日野原先生や緒方貞子さんだ。皆さん、高齢になってから知名度が上がった方々だが、生き方や社会での高齢者の立ち位置がやっぱり変わってきたなと思う。

 

これからは「生涯現役」という言葉はおそらく死語になるだろう。

そして、「長く社会に生かされているんだからもっと働いて税金を納めてくださいよ」と野暮なことを平然と言われる社会になるかもしれない ー。

 

いかがでしたか。本文にも書きましたが、お年寄り像はここ30年で激変したとつくづく感じました。これから20年後、30年後、自分たちが高齢者となった時も、きっと激変していることでしょう。もしかしたら、昔、大隈重信が言ったように人生125歳時代に突入しているかもしれません。

そんな未来にどうサバイバルできますか?

そんな未来がコワイような、楽しみなような…う~ん、ちょっとビミョーです(^^;)

 

こちらも合わせていかがですか? 

www.dekoboko5050.com

 

www.dekoboko5050.com

 

 

f:id:dekoboko5050:20191101074602j:plain

今晩なにかな~ <゜)))彡

 

 

おいしさの向こうに”農家さん”の”愛”を感じる!!

スポンサーリンク